士官学校出の新米少尉が鯉登大尉に一目惚れしてどうにかお近づきのきっかけを作りたいのになかなか踏み出せずそんな中、来たる大尉殿のお誕生日に贈り物をすることをふと思い立ち鯉登大尉の持ち物は派手な物は一目で、地味な物もよくよく見れば高価と分かるものばかりだがいつも胸ポケットに収まっている手鏡だけが古びた安物であることに気づいたので大尉殿の手に収まっている様を頭に描きながら百貨店に足を運んで繊細な漆塗りの手鏡を選び当日、二人きりになれる頃合いを見計らって執務室に赴き緊張に震えながら「たた大尉殿のお誕生日に●×◇▽…」と包みを差し出して大尉殿はしばらく手鏡をじっと見つめ「有り難う。だが……残念ながら手鏡は受け取れん」手鏡は、と強調されたことで怪訝な顔をしていると、大尉殿がおもむろに胸ポケットから木枠の小さな手鏡を取り出して「これは、私がお前と同じくらいの歳だった頃に教育係の軍曹から貰った物だ。青二才の私を陰日向で支えてくれた頼もしい男だったが、手鏡など持ち歩くような柄ではなくてな」「遠く離れた敵の様子は鏡に類する物で視認を試みろと聞いたことがあるだろう。あるときの戦闘で私にも鏡が必要になった。横にいたその軍曹に手鏡を貸せと言ったら、狐につままれたような顔をする……ふふ、あの時の顔は今でも思い出してしまうな」「代わりに私のを使ったら、遠くの敵から見事に銃で撃ち抜かれた。奴がこの手鏡を寄越してきたのはその次の日のことだ。『昨日は申し訳ありません』『私もこれと同じ物を買いました。今後はいつでもお貸しできるよう身に付けておきます』と言って」律儀な補佐官だろう、と大尉が笑いながら「そういうわけで、これは確かに古いが少々思い出深い品だ。他の物に替えるつもりがない。折角用意してくれたのにすまないな」と話し終えるまでの間に少尉の頭の中は今にもはちきれそうになっていて(鯉登大尉殿ともあろうお方が手鏡くらい好きに買い替えられないはずがない、そうしないのは並々ならぬ事情があるからなのだと何故今日まで思い至らなかったのか)「も、申し訳ございません大尉殿ッ私としたことが出過ぎた真似をし△×◎◆☆!!!!」と直角のお辞儀を繰り返すばかりになるのを鯉登大尉に「落ち着け落ち着け」となだめられ「しかしずいぶんと上等な手鏡だな。何なら、私からの餞別とでも思ってお前が使うといい。よく似合いそうだ」それからこれはついでだが、部下のことはこの先も大切にしろ。特に、まだ年若いお前のため損得抜きに骨を折ってくれる人間が一人でもいたら、何があっても手放してはいけない。今のうちから見極めておけ。よく似合いそうだ、の一言がとどめになってふらふらのまま包みを手に執務室を去りつつ鯉登大尉の言葉を表情を無限に反芻しながら、彼が心なしか普段よりもおだやかで寛いだ笑みを見せてくれていたことが気になりだすそしてそれでも贈り物はついに彼の手に渡らなかったことや、言葉の端々に覗いていた強固な意志も『他の物に替えるつもりがない』『何があっても手放してはいけない』あの口ぶりは懐かしい部下の話というより、まるで鯉登大尉殿にとっての、誰よりも大切な――* * *みたいな日がいつかの未来にあってほしい。お誕生日おめでとうございました!(昨日上げたかったのに間に合わなかった……)手鏡のシーン大好きすぎて手を替え品を替え擦り続けてしまう。 2023.12.24(Sun) 00:00:00 なんでも edit
どうにかお近づきのきっかけを作りたいのになかなか踏み出せず
そんな中、来たる大尉殿のお誕生日に贈り物をすることをふと思い立ち
鯉登大尉の持ち物は派手な物は一目で、地味な物もよくよく見れば高価と分かるものばかりだが
いつも胸ポケットに収まっている手鏡だけが古びた安物であることに気づいたので
大尉殿の手に収まっている様を頭に描きながら百貨店に足を運んで繊細な漆塗りの手鏡を選び
当日、二人きりになれる頃合いを見計らって執務室に赴き緊張に震えながら
「たた大尉殿のお誕生日に●×◇▽…」と包みを差し出して
大尉殿はしばらく手鏡をじっと見つめ
「有り難う。だが……残念ながら手鏡は受け取れん」
手鏡は、と強調されたことで怪訝な顔をしていると、大尉殿がおもむろに胸ポケットから木枠の小さな手鏡を取り出して
「これは、私がお前と同じくらいの歳だった頃に教育係の軍曹から貰った物だ。青二才の私を陰日向で支えてくれた頼もしい男だったが、手鏡など持ち歩くような柄ではなくてな」
「遠く離れた敵の様子は鏡に類する物で視認を試みろと聞いたことがあるだろう。あるときの戦闘で私にも鏡が必要になった。横にいたその軍曹に手鏡を貸せと言ったら、狐につままれたような顔をする……ふふ、あの時の顔は今でも思い出してしまうな」
「代わりに私のを使ったら、遠くの敵から見事に銃で撃ち抜かれた。奴がこの手鏡を寄越してきたのはその次の日のことだ。『昨日は申し訳ありません』『私もこれと同じ物を買いました。今後はいつでもお貸しできるよう身に付けておきます』と言って」
律儀な補佐官だろう、と大尉が笑いながら
「そういうわけで、これは確かに古いが少々思い出深い品だ。他の物に替えるつもりがない。折角用意してくれたのにすまないな」
と話し終えるまでの間に少尉の頭の中は今にもはちきれそうになっていて
(鯉登大尉殿ともあろうお方が手鏡くらい好きに買い替えられないはずがない、そうしないのは並々ならぬ事情があるからなのだと何故今日まで思い至らなかったのか)
「も、申し訳ございません大尉殿ッ私としたことが出過ぎた真似をし△×◎◆☆!!!!」
と直角のお辞儀を繰り返すばかりになるのを鯉登大尉に「落ち着け落ち着け」となだめられ
「しかしずいぶんと上等な手鏡だな。何なら、私からの餞別とでも思ってお前が使うといい。よく似合いそうだ」
それからこれはついでだが、部下のことはこの先も大切にしろ。特に、まだ年若いお前のため損得抜きに骨を折ってくれる人間が一人でもいたら、何があっても手放してはいけない。今のうちから見極めておけ。
よく似合いそうだ、の一言がとどめになってふらふらのまま包みを手に執務室を去りつつ
鯉登大尉の言葉を表情を無限に反芻しながら、彼が心なしか普段よりもおだやかで寛いだ笑みを見せてくれていたことが気になりだす
そしてそれでも贈り物はついに彼の手に渡らなかったことや、言葉の端々に覗いていた強固な意志も
『他の物に替えるつもりがない』
『何があっても手放してはいけない』
あの口ぶりは懐かしい部下の話というより、まるで鯉登大尉殿にとっての、誰よりも大切な――
* * *
みたいな日がいつかの未来にあってほしい。お誕生日おめでとうございました!(昨日上げたかったのに間に合わなかった……)
手鏡のシーン大好きすぎて手を替え品を替え擦り続けてしまう。